こんばんは!
時間もないのでざっくり書きます。

昭和〜平成の時代は、地形、地図、道路網、鉄道網から見ても、橋本は交通の要所であることは明らかです。

八王子との御殿峠など、橋本周辺で歴史的に大きな戦いとかあってもおかしくないのに…と思いながら、平安時代から江戸時代までの道路網を簡単に調べてみました。

【~平成時代】
bbd78c90-s
 

50141999
 

平安時代は、国分寺のあった海老名を中心に相模国は道路網があったようです。
海老名から町田経由で北方面に伸びてる街道はおそらく武蔵国の中心だった府中に続く道。
三浦半島から千葉に続く街道は実際にあったのかは不明ですが、おそらく記紀の日本武尊の走水の伝説から、街道があったのだろう…と推測されたのでしょうか。

江戸時代までは京都に連なる東海道は基本的に足柄峠経由です。



【鎌倉時代】

  ced5b9d5

有名な鎌倉街道。上道は今でも鎌倉街道として有名ですね。今でも活用されてる道です。
新田義貞が鎌倉を攻めた時はこの上道を上ってきて幕府を滅ぼしました。

京都方面の街道は載っていませんが、前述と同じかと。
南北朝~室町時代では、やはり足柄峠で官軍と足利軍の戦いが起こっています。


【戦国~江戸時代】



橋本も節点となってきているのが分かります。
武田信玄が小田原城を包囲した一連の戦いは国道412号を往復してるので、今の愛川公園より厚木よりで戦いが起こっています。


【徒然】

今でこそ車社会の運輸、鉄道網から橋本は重要な節点となっていますが、昔は意外に重要な節点ではなかったんですね…

どうしても今現在の橋本の地理的な重要性から、歴史上、この辺りに大きな城や戦い等あったかも!と先入観から調べましたが、残念ながら痕跡が見当たりませんでした…

集落、町、都市というのはやはりその時代のニーズに合わせて自然発生していくもの…と再認識させられました。

歴史マニアで知名度が全国区の相模原というと、どうしても淵野辺氏が真っ先に思い浮かんでしまいます。

相模原市は都心通勤可能かつ豊かな自然が目の前という恵まれた神奈川県内有数の住環境ですが、シティセールスとして弱いのがこういった歴史的な背景が弱いこともあるのかな…という気がします。

となると、シティセールスしていくものを新たに作るしかないのかなとも。

まとまりませんでしたがまた徒然。