こんばんは。
   
全国の政令指定都市を大きく分類すると2種類あります。 1つは中世以降に形成された地方中核都市。 そして首都圏を構成する中核衛星都市です。 

地方の政令指定都市は、特に豊臣政権、それを引継いだ江戸幕府時代に形成された400年以上もの歴史ある都市が大半となっています。

相模原市だけではないですが、街のブランド力、シティセールスにおいて、この「歴史」の重厚感、歴史における存在感の薄さが一つの課題ともなっています。

本ブログを書き始めた頃から、相模原市に全国区で知られているような歴史的なものがないか?と気が向いたときに探していました。

最近、ヤマトタケルの草薙伝説の舞台は静岡と一般的に知られていますが、実は相模原市の大沼付近という説も結構有力な説の1つとしてあることを知りました。


【草薙剣伝説はなぜ静岡?】

「ヤマトタケルの草薙剣伝説」、この話は誰でも知っている伝説だと思います。そしてその舞台は静岡県焼津というのが主説です。これは日本書紀に「焼津」という地名で明記され後日にせよその地名そのものが残っているからです。

ただ静岡県焼津説も実は確定的ではありません。

(日本書紀) 駿河の定説
2017-11-28-20-49-27



【古事記では草薙伝説の舞台は相武(相模)】

一方で古事記では草薙剣伝説は相武国であったことが明記されています。
自分は古代史を知らなかったため、恥ずかしながら最近知りました。。。

(古事記)
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【なぜ静岡の焼津説が一般的なのか?】

「神奈川県の地名」(平凡社、昭和61年)等を、図書館で調べてみると、高座郡や相模原市南区大沼に「草薙伝説」が掲載されています。   

なぜ静岡県説が有力なのか? 
それは「焼津」「草薙」といった地名が今現在付いているからです。

果たしてこの地名が記紀が編纂された以前から、話し言葉であった地名なのか、それとも記紀編纂後に名付けられ伝説を由来に漢字を当てた地名なのか・・・

日本書紀や古事記は漢字導入直後であり、地名は話し言葉の当て字が多いため「やいづ」という読み方が重要であることは間違いないですが。


実は静岡県焼津説も古事記との整合性についてやや苦しい解釈をしてもいます。

Wikipedia -焼津神社



私説】 記紀の「焼津」は神奈川のヤビツ峠とすると草薙伝説が相模原市でも違和感なし  

ヤマトタケルは足柄峠を越えて足柄方面→高座郡→鎌倉→走水という経路を辿っています。
今でいうとR246→R467→。。。というイメージです。

古事記から草薙伝説は海老名・大和・座間・相模原市南区あたりではないかという説をたびたび見ました。 これは地名百科事典みたいな本でも高座郡に記載されてもいます。

詳細などは記事の最後に参考ページとして掲載していますのでご覧いただければと思います。

また「やいづ」ですが、これをヤマトタケルの進路沿いに考えてみましたが、これは神奈川県内で夜景で有名な「ヤビツ」が由来で、後世に「焼津」と漢字を当て字したのではないか?と仮説してみました。
   
昔から、ヤビツ峠はなんでカタカナなんだろ・・・という謎の地名。    

ヤビツ峠を調べてみると、戦国時代にこの峠で「矢櫃」(矢を入れる箱)が見つかったから、かつ漢字が難しいからカタカナ・・・が由来みたいです。

しかし「ヤビツ」はヤにアクセントがありますが、焼津のように平坦に発音すると「やいず」とほとんど同じように聞こえます。  
         
「草薙伝説が相模原市南区大沼が舞台」と仮説した場合、なぜ離れた秦野市の「ヤビツ」なのかがポイントになるかと思います。自分はこう私説します。

「ヤマトタケルは相武国の平定にあたり伊勢原を根拠地としていた。ヤマトタケルは相模原市で草薙伝説の通り、相武国造を捕らえた後、伊勢原に凱旋しヤビツで処分をした」


【伊勢原の由来】

ただ、伊勢原市のHPによると伊勢原の由来は1620年に創建された伊勢原大神宮のようです。
残念ながら、伊勢原はそれ以前なんて呼ばれていたのかは今回分かりませんでした。
   
平安時代から「いせはら」と呼ばれていたとすると実は辻褄があってきます。
これまでの記事と同様「いせのら」(伊勢の神)、つまり伊勢で天叢雲剣(草薙剣)を授かったヤマトタケルが由来の地名かと推測されます。
かまくら、たかくら、みうら、あしがら、いせはらと古代相模国で重要な群、地域の語尾に「ら」神がついているのは偶然ではないと考えられます。 


【延喜式を見ると・・・】

ヤマトタケルの時代からかなり後世になりますが、927年に官社としてされた相模国内の神社を見ると、鎌倉・三浦にない点と伊勢原近辺に多いことが特徴的です。

相模国はヤマトタケルの伝説が多いことや、この東征により鎌倉にヤマトタケルの子孫が治める朝廷の直轄地「鎌倉別」が制定されたことなどから類推しても、古事記の通り草薙伝説の舞台は静岡県ではなく、むしろ相模ではないかと考えさせられます。


【提言】 相模原市とヤマトタケル伝説

シティセールスは様々な方面からのアプローチが考えられますが、やはり「歴史のある」街というのはそれだけで強力なシティセールスとなります。   
そして古事記では実際に相武国での出来事を匂わせています。

この伝説は日本書紀の静岡が舞台なのか?古事記の相模が舞台なのか?歴史学的にも相模原市のイメージ戦略的にも研究する価値があるかと思います。


また徒然と。 


【参考】

相模原情報発信基地

まめこぞうの旅  座間の歴史探検